読み物 2018.03.23
【第1回】いつかの味を、わが家の味に
皆さま、はじめまして。
劔樹人と申します。
日頃は音楽をやったり、マンガを描いたりしています。
2014年に結婚した妻は、エッセイストでテレビに出たりもしている犬山紙子です。
結婚してからというもの、私は仕事のやり方を在宅中心に変え、家事全般を担当するようになりました。もともと家事は苦手な方でしたが、妻はさらに苦手だったからです。
料理を作るのも私です。料理なんてほとんどして来なかったのですが、人間何事もやってみたら意外とできるもので、それなりに楽しさも見出せるようになりました。ちなみに妻はやってみたけど苦痛でしかなかったそうです。
食に特別なこだわりのない私は、メニューを考えるときはいつも妻に食べたいものを聞くようにしています。それでもふとたまに、自分で作ってみたい、家族に食べさせてみたいと思うものがあります。
「レモンライス」は、レモンを絞ってかける焼き飯の一種です。
名前から味が想像しにくいこの料理が一体何者かというと、もはや20年近く前になりますが、私が大阪市立大学という大学で学生をやっていた時代によく通った喫茶店のメニューだったのです。
その喫茶店『憩務所 夏爐(けいむしょ かろ)』は、大学のすぐそばにひっそりと佇む、木々に囲まれたジブリ感溢れるビンテージ古民家カフェで、「奥さん」と呼ばれているおばあちゃんが30年もの間、そこで切り盛りしていました。
「マスター」と呼ばれていたご主人もいたようですが、私は一度しか会った記憶がなく、その時はもう年老いて身体が不自由なようでした。
いわゆる学生の憩いの場だったので、バイトも近所に住む学生ばかり。紹介で入るせいなのか、私の友人たちがやたら働いていました。
女の子はまぁいいのですが、ヒゲ面で熊みたいな風貌をした私の先輩が画期的に似合わないエプロン姿で働いていた時もあり、店の奥から出てくるとギョッとしました。
その人は太り過ぎで股ずれを起こして、股間に大きな穴の空いたジーンズを履いて接客をしていたりするわけですから(ズボンはおそらくそれしか持っていない)、学生の街のおおらかな雰囲気とはつくづくいいものだと思います。
私は時間とお金がある時はよく夏爐に行っていて、いつもレモンライスを頼んでいました。うまかったというのもありますが、量があるのでコストパフォーマンスに優れていたというのもあります。
レモンライスはジュース付きで780円だったので、500円もあれば満腹にできる手段も近所にあることからすれば、決して安い食事ではなかったですが、ジャズが流れるいい感じの純喫茶感と田舎のばあちゃんち感がハイブリッドになったあの雰囲気は、夏爐でしか味わえませんでした。たまに、椅子で寝たりしてたし。
夏爐は奥さんの体力の限界により、2007年に惜しまれながら閉店しました。店舗は取り壊され、その土地はお菓子工場の敷地になりました。
もうそれから10年も経ったわけですが、2年ほど前にたまたま夏爐でバイト経験のある友人(学生時代は全身水色の服しか着ない男だったので、彼が店にいるのも異様だった)に会う機会がありました。その時にレモンライスのあのお味は自宅で再現できるという話を聞いたのです。
それならばと検索してみると、夏爐の閉店時に後世にレモンライスのあのお味を残したいと、奥さんからレシピを教わってクックパッドにアップしてる人がいるじゃあないですか!
早速作って、妻にも食べてもらいました。
「うん、うまい!」
喜んではくれましたが、オリジナル未経験の彼女にしてみたらそんなもんでしょう。私のほうはというと、およそ15年ぶりの再会にひとりで胸がいっぱいになりました。
オリジナルは大分県産のしいたけだったりオランダラード(ラードの一種)だったりと、材料のこだわりがあったようですが、そこまでしなくても簡単に再現できています。
においとか味ってすごいですね。時を越え空を越え、東京のくたびれたおっさんを青春時代に連れ戻してくれるんですよ!
これからもたびたびレモンライスは我が家の食卓に並ぶことになると思います。
今はとりあえず、1歳の娘に食べてもらうことが楽しみです。一般的な食べ物だと勘違いして、いつかよそで「レモンライス」と口にしてくれるのが理想です。
まだレモンライスを食べられない1歳の娘にはパンケーキを。
感想は、「アー!」とのことです。
(手づかみで上手に食べられました)
劔樹人(漫画家・ミュージシャン)
[PROFILE]
男の墓場プロ所属。「あらかじめ決められた恋人たちへ」のベーシスト。著書に「あの頃。〜男子かしまし物語〜」(イースト・プレス)、「高校生のブルース」(太田出版)、「今日も妻のくつ下は、片方ない。 妻の方が稼ぐので僕が主夫になりました」(双葉社)。「小説推理」、「みんなのごはん」、「MEETIA」などで連載中。
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ほわわわわんと甘いバターの香りに包まれたと思いきや、レモンの酸味でぴっとしまって。
しいたけの旨みもちょいちょい顔を出し、飽きがこないうまさ。空腹に任せてバクバクと5分で平らげてしまいました。
なにやら、つるちゃんの学生時代の思い出のごはんだそうです。
大学生のつるちゃんがどんな男の子だったか知らないけれど、きっと今とあんまり変わらないのでしょう。
ちょっと見ただけではわからない、いぶし銀のような魅力を持つ男子たちでたむろって、マイナーな音楽やB級映画やアイドルや社会問題やスケベな話なんかをしていたのでしょう。
寝てる友達のズボンを引っ張ってパンツにシュッシュと霧吹きをかけたりするいたずらもしていたのでしょう。(こないだ家で横山くんという友達にそれをやっていたから)
食べた後、バターの香りの余韻に浸りながらそんなことを考えていたら、娘が手に持ったパンケーキを投げ飛ばし、つるちゃんが「ありゃりゃ」と言いながら拾っていて。
なんだか急に「お義父さん、お義母さん、こんないいつるちゃんを育ててくれてありがとう」と、しみじみしてしまったのです。
変なラブレターみたいになりましたが、毎回そうなると思います。つるちゃん命なので……。
犬山紙子(イラストエッセイスト)
[PROFILE]
大阪府生まれ。ニート時代に書いたブログを書籍化した『負け美女』(マガジンハウス)でデビュー。現在はイラスト・エッセイストとして多くの雑誌で執筆。テレビ、ラジオにも出演している。2017年1月に女児を出産。近著にさまざまな生き方の女性たちにインタビューし、自らの妊娠、出産も描いた新刊『私、子ども欲しいかもしれない。』(平凡社)
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