読み物 2016.11.15
【第17回】パリの移民街で食べるベトナミアン・サンドイッチ「バイン・ミー」 の風情
味噌汁飲んでますか?
発酵デザイナーの小倉ヒラクです。
前回に引き続き、パリのお話をもう1つ。
僕、20歳ぐらいの時にフランス、パリに住んで絵の勉強をしていたことがありました。その時に僕が住んでいたのが、パリ東部の移民街ベルヴィルというエリア(フランスの長編アニメーション映画『ベルヴィル・ランデブー』でおなじみですね)。
パリというと、オシャレなカフェとかクラシカルな本屋さんとか美術館とかがあって、由緒正しきヨーロッパの文化都市!というイメージがあるじゃないですか。観光のメッカ、ルーブル美術館やシャンゼリゼ通り周辺はまさにそんな感じなんですけど、東のはじっこのエリアに行くと「こ…ここはヨーロッパなのか?」と戸惑うほどの人種のメッカ。
ベルヴィルはマグレブと言われる北アフリカの文化圏と、中国やベトナムなどの東アジア文化圏が混淆(こんこう)する超エスニックエリアでした。
ベトナム食堂『パンダ』の絶品サンドイッチ
ベルヴィル駅近くにある『パンダ』というベトナム食堂の名物サンドイッチがお気に入りで、週に一回くらいこれをお昼ごはんにしていました(他にもフォーとかあったけどサンドイッチが格別だった)。
「バイン・ミー」と呼ばれるベトナミアン・サンドイッチ。最近は日本のエスニック料理屋さんで食べられるようになってきたので、読者の皆様にもファンがいるのではないかしら。
こいつは言わば「たらこスパゲティ」みたいな方法論でできている料理。バゲット(フランス式の細長いパン)にべトナムフレーバー全開の具材を突っ込むという「見た目はフランス風の家の中を、全部ベトナムの家具でしつらえる」みたいなアクロバティックなサンドイッチなのですね。
では、より詳しく解説しよう。
通常のフランス式サンドイッチでは、メイン具材にハムを突っ込むのだがこれが旨味の染み込んだチャーシューになっている。そして葉物としてレタスとかトマトとかサラダ菜なんかが挟まれているところに、生春巻の具材であるところのシャキシャキの人参の細切りやラディッシュ、キュウリなどが押し込まれている。味付けは、ソースのかわりにニョクマムという魚醤※をふりかけ、トドメに大量の生パクチー(香菜)をてんこ盛りにして出来上がり。
※魚醤とは、大量にとれる小魚を漬け込んだ汁を醤油のように使う発酵調味料で、乳酸菌と魚の旨味がドッキングした濃厚な風味がある。日本では「しょっつる」や「いしる」が魚醤にあたる。
ではこのバイン・ミーをがぶりと頬張ってみるとだな。
見知ったフランスパンの香ばしさとふんわりした食感の後に、チャーシューの甘み、生野菜のシャキシャキの食感、ニョクマムの旨味とパクチーの強烈にエスニックな香りが怒涛のように押し寄せてくる。
この複雑さ、組み合わせのキテレツさ、ヨーロッパの料理人では考えつかないであろう、相反する味覚のドッキング。軽食であるはずのサンドイッチに、まさかここまでの快楽があろうとは…!
さらに発酵の観点から見てみるとだよ。
酵母を主体としたヨーロッパ的発酵であるパンと、耐塩性乳酸菌や各種細菌類で複雑に醸されるアジア的発酵のニョクマムのマッチングは普通に考えるとちぐはぐな味になりそうだが、AKB48のライブでヘビーメタルなギターを弾きまくるマーティン・フリードマン的な絶妙のマッチング感がある。
かつて美食道の祖であるブリア=サヴァランは『新しい美食の発見は、人類の幸福において新しい天体の発見以上のものである』という名言を残した。
そしてフランス統治下のベトナムにおいて、バイン・ミーという新しい天体が発明されたのであるよ。
***
東アジアの食文化のしたたかさ
ここでちょっと歴史の話をさせておくれ。
ベトナムはめちゃくちゃ複雑な近代史を辿ってきた国で、過去100年のあいだにフランス→日本→アメリカと様々な国の介入・支配を受けてきた。特にフランスは19世紀末から第二次世界大戦の頃まで50年以上ベトナムを植民地とし、その結果フランス文化がベトナムに持ち込まれることになった。
(余談ですけど、ベトナムの超お年寄りのなかにはたまに古風なフランス語を話す人がいる。首都ハノイにもいまだフランス人居住地がその名残を留めている)
バイン・ミーはその「フランス植民地時代」に生まれたレシピの代表格。ベトナムでは街場のカフェでベトナムコーヒーを飲みながらサンドイッチを頬張るのが朝の定番になった。
そして話は現代のパリに戻る。
フランス統治時代がきっかけとなって、パリにはベトナム移民のコミュニティがたくさんできるようになった。僕のお気に入りだった『パンダ』も、ベトナム系の人の良さそうな家族が切り盛りする典型的な「ベトナム・ローカル食堂」でした。
本来は洋食であるはずのスパゲティが「たらこスパゲティ」という和食になっているように、バイン・ミーもサンドイッチという洋食ジャンルにありながら完璧にベトナム料理化している。しかもフランス料理のおいしいところはきっちり持っていっているわけで。大国の支配を受けつつ自分たちのアイデンティティを失わなかったベトナム文化のしたたかさには感心するばかりだぜ。
***
パリはエスニック食のるつぼ!
さてそんな『パンダ』のバイン・ミー。
お客さんの半分くらいはベトナムコミュニティの方々でしたが、残り半分はパリっ子たち。彼らもまた、複雑な旨味の不思議なサンドイッチをエンジョイしていました。
ベルヴィルエリアにはベトナム料理屋さん以外にも、北京料理、広東料理、台湾料理などの中華系、タジンやクスクスが名物の北アフリカ料理、シリアやレバノンの中東料理、トルコ料理、カンボジアやタイ料理などなど。エスニック料理のバリエーション広すぎ!ていうかフランス料理屋さんどこにあるの?と不安になるほどのエスニック料理天国でした。
僕にとってのパリの面白さは、この文化的多様性でした。
ベルヴィルに住んでいるだけで世界のあちこちを旅している気分になれたし、実際曲がり角を1つ曲がると、中華街からイスラムエリアに世界が変わったりする。ここでヒラクは「世界のリアリティと多様性」を学んだのでした。
ちょうど今ごろ、晩秋の時期。マロニエの街路樹の落葉のなか、バイン・ミー頬張りながら何キロも遠くの画材屋や本屋まで散歩したりして。お金はぜんぜんなかったけれど、夢だけはあふれていた、なかなか風情あるパリの青春時代でした。
…と、今回は珍しくちゃんと「旅のおはなし」ができました。
それではごきげんよう。
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