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アマノフーズの初代フリーズドライおみそ汁 「あんじょう」(ほうれん草のおみそ汁)を再現してみた!

アマノフーズの「フリーズドライおみそ汁」は、1983年に初めて発売してから今年で40周年を迎えました。

 

その記念コンテンツとして4回にわたり、アマノフーズの歴史、 おみそ汁や驚き商品(匠シリーズ)の開発秘話などを特集します。

 

第2回となる今回のテーマは、最初に開発されたフリーズドライのおみそ汁「あんじょう」の再現! 開発の経緯や開発担当者のこだわりポイントをご紹介します。

 

また、店頭に商品が並ぶまでの道のりや苦労を当時の営業社員にインタビュー。 当時の貴重なエピソードを語ってもらいました。

 

日本初! 40年前に4種類のフリーズドライおみそ汁が販売スタート

アマノフーズ(旧天野実業株式会社)が真空凍結乾燥(フリーズドライ)機を導入し、フリーズドライ食品の製造・販売に着手したのは1968年。当時は、カップラーメン用のえびやねぎなどの具材や粉末調味料などを企業に販売するのみで、一般のお客さまに向けた商品は製造していませんでした。

 

その後、フリーズドライの技術力を高めていった天野実業は、初めての一般消費者向け商品としてフリーズドライおみそ汁の開発に着手。

 

「美味しいだけでなく、飽きのこない味づくり」を目指し、全国から30種類以上のみそを集め、みその配合を試行錯誤しながら理想の味を実現。1982年に日本初のブロックタイプ(おみそ汁と具材が一体となった)のフリーズドライおみそ汁が完成しました。

 

そして翌年の1983年に、「あんじょう」(ほうれん草)、「しじみ」、「むぎみそ」、「えのき」の4種類のラインアップで発売に至りました。

 

最初に誕生したフリーズドライおみそ汁「あんじょう」とは?

※発売当初の商品パッケージです。(現在は販売しておりません)

 

最初に開発されたフリーズドライおみそ汁「あんじょう」。「あんじょう」とは、京都の言葉で「丁寧」「上手く」の意味。二代目社長である天野肇(あまの はじめ)が京都の方から「このおみそ汁は丁寧に上手くできていますね」と言われたのが由来です。

 

開発がスタートした当初、美味しさはもちろん、せっかくならあっと驚く仕掛けが欲しいと開発者は考えました。そこで思いついたのが、当時はおみそ汁の具材としてあまり一般的ではなかった「ほうれん草」。緑が鮮やかで、お湯を注ぐとふわりとお椀いっぱいに葉が広がる様子を楽しんでほしい、という思いが込められています。

 

40年の時を経て、発売当時の「あんじょう」を再現

「あんじょう」の開発を担当した島村をはじめ、アマノフーズブランドの商品開発に携わるブランド企画室の三村が、当時のレシピをもとに再現しました。

 

 

三村
具材やみその配合など、発売当時に近い形で再現しました! ほうれん草は、お湯で戻した時に葉がふわっと広がり、食感も楽しめるよう、スーパーなどで売られているものよりも葉が大きいものを仕入れて使っています。

 


ー当時から食材選びには、非常にこだわっていたんですね。

 


島村

はい。油揚げに関しては一般的に販売されているものではフリーズドライ化することが難しく、専門店にお願いし、フリーズドライ食品に適するようなものを、一から一緒に開発してもらいました。完成までに約半年くらいかかりましたね。

現在販売されている「いつものおみそ汁 ほうれん草」と同じような食感や味わいで美味しいです。40年前から今と変わらないこのクオリティを生み出せたのは、苦労を重ねた開発過程があってこその結果だったんですね。

 

 

三村

そうですね。久しぶりにつくって懐かしい気持ちになりました。具材もしっかり入っていて、やっぱり美味しいですね。

 

当時の営業担当にインタビュー! 店頭に商品が並ぶまでの道のり

アマノフーズ(旧天野実業株式会社)としては、初めての一般消費者向け商品であったフリーズドライのおみそ汁。

 

お湯を注ぐと一瞬で本格的な味わいのおみそ汁が楽しめる画期的な商品でしたが、1食100円以上という価格設定は当時のインスタントみそ汁としてはかなり高く、商品を店頭に置いてもらうまで苦労の連続でした。

 

発売時、営業を担当していた社員3名に当時の思いやエピソードを聞いてみました!

 

プロフィール

アサヒグループ食品株式会社 営業統括部
原田 真吾

入社2年目で営業部に異動し活躍。全国展開の足がかりとして関東地方での販路を開拓した。

 

アサヒグループ食品株式会社 業務部
端野 聡

岡山工場勤務を経て営業担当に。全国各地を飛び回り、機内食採用を決めた経歴を持つ。

 

アサヒフィールドマーケティング株式会社
中四国支店 萩原 康典

他食品メーカーの営業を経て、天野実業株式会社に入社。当初は唯一量販営業に詳しい人物だった。

 

 

Q. アマノフーズで「フリーズドライおみそ汁」を販売するようになった当初、どういった苦労や工夫がありましたか?


端野
当時は業務用のフリーズドライ食品をメインに販売していたため、スーパーや百貨店などの小売店への営業ノウハウがほとんどない状況で、軌道に乗るまでは苦戦しました。また世間でのフリーズドライ食品の認知度はかなり低く、まずは「フリーズドライとはなにか」ということを知ってもらう必要がありました。

 


原田
最初は売り方もわからず、上司のプレゼン方法を横で見て勉強していました。また当時は携帯電話が普及していなかったので商談のアポイントも取りづらく、商品サンプルと資料を持って本部に飛び込みで営業したりしていましたね。

 

萩原

とにかくフリーズドライのおみそ汁を食べてもらい、美味しさを知ってもらうために、ポットとお椀を持って地道に営業していました(笑)。

 

Q. 商品が店頭に並んだ後、まだ知名度がない商品をお客さまに知ってもらうためにどのような工夫をしていたのですか?

 

萩原
世間での知名度は低かったものの、一口食べてもらえれば商品の良さを分かってもらえる自信があったので、まずは百貨店などで試食販売を行いました。

 


端野
売り場に商品を並べるための陳列棚(什器)も萩原が開発したんですよ。

 

萩原

そうですね! 小さくて目立ちにくい商品だったので、売り場のプライスレールに隠れてしまうのが悩みでした。そこで、高さを出して目立たせる陳列棚(什器)をつくりました。これは、今でもスーパーや百貨店などで採用されているんですよ。

 

Q. 前例がない中で、フリーズドライおみそ汁を多くの人に知ってもらうまでにたくさんの苦労があったのですね。当時どのような思いで営業していましたか?

 


端野
「まるでつくりたての美味しさ」を目指して工場の方々がつくってくれたものを、1人でも多くのお客さまに届けるという使命感がありました。

 

萩原

発売当初はなかなか目標に達せず苦しむこともありましたが、自分たちが自信を持って美味しいと言える商品だったので、とにかくフリーズドライおみそ汁の魅力を知っていただくために営業活動を行っていました。

 


原田
2人と同じく、美味しさには自信を持って営業していましたね。アマノフーズのおみそ汁発売から40年経ち、今ではたくさんのスーパーや百貨店、生協で採用いただき、多くの方々にアマノフーズの商品を手にとっていただけるようになって本当にうれしく思います。

 

今ではフリーズドライ食品専用棚を設けてくださっているお店もたくさんあります。 ※写真は当社岡山工場にある見本棚です。

 

ー味や品質にこだわり、社員が自信を持っている商品だったからこそ広がっていったアマノフーズのおみそ汁なのですね。

 

当時から変わらぬものづくりの姿勢やお客さまに対する熱量、そして日々向上するフリーズドライの技術力。

 

これからもアマノフーズは、さらに多くのお客さまに「まるでつくりたての美味しさ」をお届けしていきます。

 

 

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