読み物 2018.04.23
【第34回】サワー種と種なしパンの祭りの謎
味噌汁飲んでますか?
発酵デザイナーの小倉ヒラクです。
僕、山梨のおうちで色んな発酵食品を仕込んでいます。主たるものは僕の専門でもある麹と、麹を使って仕込む発酵食品(味噌とか)ですが、たまに旅がない日が続くとパンを焼くのが楽しみだったりします。
ということで今日はちょっとマニアックなパンの話。
こういう話もたまにしないと、僕が微生物のスペシャリストであるということを、読者の皆様が忘れてしまうのではないかと危惧している…!!
古代のパンづくり、サワー種の文化
ドライイーストを使った一般的なホームベーキングはもちろん、季節の果実で仕込んだ自家製酵母液からおこすパンも楽しい。
なかでも僕のいちばんのお気に入りは、ライ麦と水だけでパン種(だね)を起こすサワー種(サワードウ)。
イギリスに滞在していた時にならった、古代オリエントの名残を残す超プリミティブなパンの製法です。
作り方としては、
という工程でつくります。基本はライ麦と水だけのウルトラシンプルレシピ。材料が単純なぶん、ちゃんと発酵させるには手間と勘が必要です。
「あわわ…めっちゃ難しそう…!」
となりそうですが、実はCを保存して定期的に継ぎ足し続けるとA〜Bをショートカットできるのでわりと楽ちんです。
さてこのサワー種のパン。
味は普通のパンよりも酸っぱく独特の香りがします。そして小麦と違ってライ麦はグルテンが少ないので、普通のパンのように成型ができないので型に入れてパウンドケーキのように焼き上げます。なので食感もふっくらというよりどっしり。「麦のカタマリ食べてる!」感バリバリで、ふんわりもっちり甘い白食パンとは真逆の重厚なパンなんですね。
乳酸菌と野性酵母の共生発酵
パンを手づくりしたことのある人ならわかると思うんですけど、パン種をつくる時に糖分を足しますよね。なんでライ麦と水だけでパン種がつくれるのか?という疑問の答えは、なんと乳酸菌の働きだったりする。
サワー種がいわゆる普通のパン種のようにプクプクしだす前に、ペーストがドロっとしてきて酸っぱい匂いになってくるタイミングがあります。この時に何が起きているのかというと、空気中の乳酸菌がペーストの中に入って乳酸発酵を始めているんですね。
※より詳細に言うと、ライ麦を水に溶かした時に起こる解糖作用によってペーストの中に糖分が生成され、それをエサに乳酸菌が増殖する。古代の日本酒の菩提酛(だいぼもと)と似たような方法論
そして乳酸菌が繁殖してペーストの中の環境が酸性=酸っぱくなると雑菌が入りにくくなり、その安定した状況のなかで野性の酵母がすくすく育ち、やがて酵母特有の香りとガスが出てパン種になっていく。
サワー(酸っぱい)種の名のとおり、乳酸菌と野生酵母による共生発酵というなかなかレアな現象を利用したパンのつくりかたなんだね。このような不思議なパンの製造法ができた背景として、古代の世界では
① 現在のようなパン小麦が手に入らず、しかも精白する技術もない
② 安定培養した酵母(ドライイースト)が手に入らない
③ 酵母のエサになる糖分(砂糖とか)を精製するのが難しい
という現在では当たり前になっている前提条件がない。なので、グルテンの少ないライ麦やエンマーコムギを、野性の菌で、しかもなるべく加糖しないでパン種を起こさなければいけなかった。そういう制約条件のなかで生まれたのが酸っぱくてどっしりしたサワー種パンでした。
そう。今僕たちが当たり前に食べているパンは近代以降の技術進化から生まれたプロダクトなのですよ。
種なしパンの祭りの謎
それでは最後にサワー種のパンにまつわる不思議なお話をひとつ。
古代オリエントで発祥したユダヤ民族の文化に「種なしパンの祭り」という謎の祭祀があります。収穫の時期、発酵したパンを食べてはいけない(かつては死刑という場合もあったよう)というルールで1週間を過ごすのですが、現代人の僕たちからすると
「えっ、なんでパン発酵させちゃダメなの? おいしいじゃん!」
となる案件ですよね。
どうやら古代の世界において、ユダヤの人々にとってはパン種が「穢(アイ)と罪の象徴」とされていたよう。ヘブライ語でいうパン種「ホーメツ(חֹמֶץ)」には「酸っぱい」「苦い」という意味があるようなのです。
おおお、これってつまりサワー種のことではないか…!
実際にイチからサワー種を起こしてみるとわかるのですが、乳酸菌と野性酵母が共生発酵を始める初期にワイルド乳酸菌と酵母特有の硫黄っぽい匂いが入り混じった「やっちまった臭」が出るんです。この時の泥っぽいペーストを舐めるとそりゃもう確実に「酸っぱくて苦い」んですよ。
古代ユダヤの民は、サワー種を醸すたびに「ホーメツ…!」と呟いていたに違いない。
つまりどういうことかというとだな。
サワー種はパン種としてしっかり発酵する前に、いちど腐ったような状態になるということなんです。だから発酵パンを焼くということは、「一度腐敗したのちに快楽を手に入れる」という「世俗に穢(けが)れる」みたいな感覚だったのではないかと発酵デザイナーは推測するわけです。
なんと微生物の働きが宗教における穢れや罪の概念を生み出すとは…。
発酵のちから、恐るべし。
それではごきげんよう。
【追記1】 ちなみに種なしパンの祭りのあいだに食べるのは「マッツァー(מצה)」と呼ばれるでかいクラッカー。パリパリしてそれはそれで悪くない。日本人の僕らからするとパンじゃないけど。
【追記2】 このコラムの原点は、大学時代にパリのユダヤ人街の近くに住んでいた頃のこと。文化人類学の卒業論文でユダヤ文化について書いているなかで不思議に思ったのがきっかけでした。当時は文系だったからよくわからなかったけど、微生物をやってみて意外なところから視点が見つかるのも不思議です。
【追記3】 僕は宗教の専門家ではないので、種なしのパンの祭りの宗教的な意味合いについては言及しません。気になるのは「なんでパン種が罪と穢れの象徴になるの?」という物理的な条件です。
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