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【第21回】ずぶ濡れのあと食べるアイス

夏の東京は、幾度も突然の豪雨に見舞われた。

 

「花火大会は中止となりました」。

 

満員電車の中でアナウンスが流れ、浴衣を着た女の子が肩を落としたのが見えた。彼女がうなだれるのも無理はない。彼女はきっとこの日のために浴衣を新調し、着付けをしてもらい、ヘアセットまで頼んで、今ここにいるのだから。彼女はカゴバックからスマホを取り出してカチカチといじった後、花火大会とは無縁の駅で降りて行った。

 

わたしは、といえば、最寄り駅についたものの、駅付近のカフェは雨宿りをする人で満員、タクシーは来ない、という状態に困り果て、広めの軒下で雨宿りをすることに決めた。

 

一向に止む気配のない雨。わたしは小さく縮こまってしゃがみ、膝の上でパソコンを開き、この文章を書いている。

 

勢いよく落ちてきた雨が地面から跳ね返って、つま先に触れる。フリーのライターはどこでも仕事ができるというが、こんなところでコラムを書いているライターはわたしだけなのではないか、と思えてくる(実際にこんな行儀の悪い女はいないのかもしれない、どの職種でも)。

 

「きゃー」と叫びながら雨の中を横切る人たち。

傘が役割を果たしていない、と思えるほどずぶ濡れのおじさん。

 

ぼんやり見つめながら、どしゃぶりの中を駆け抜ける妄想をする。昔から、どしゃぶりの日はいつも思う。このまま濡れてみたいな、と。わたしの好きな映画、『雨に唄えば』のようにずぶ濡れになって、歌でも歌いながらはしゃいで雨の日を全身で楽しんでみたい、と。そこに大好きな彼が一緒にいるとなおいい。

 

例えばこんな風に。

 

***

 

 

彼とたわいもない会話をしながら、最寄り駅から10分程度かかる彼の家に向かって歩いている時、ポツ、ポツ、と水の感触がした。

 

「雨だ」

 

ふたりで上を見つめた途端、雨は次々に長い線を描きながら襲ってくる。

 

「やばい、めっちゃ降ってきた!!」

 

慌てたものの、周りには住宅街ばかりで休めそうな場所もない。当然タクシーどころか車も通っていない。家までは、あと5分くらいだろうか。わたしたちは顔を見合わせて走り出す。

 

きゃーとか、わーっとか言ってるうちにだんだんと激しさを増し、前が見えないほどの強さになっていく雨。

 

白いTシャツを着ていた彼の身体のラインがどんどん浮き上がり、白いワンピースを着ていたわたしのキャミソールも浮かび上がる。

 

前髪が張り付いて前が見えなくなり、背負ったリュックも先ほどより重くなった気がする。しっかりと繋いだ手のすきまにもわずかに雨が滑り込んで、離れてしまいそうだ。と思った瞬間、彼がくつくつと笑いだすのだ。

 

「なに!?」

「やーばい!こんな雨、すごくない!?」

 

走りながら彼が大きな口を開けて天を仰いで笑うものだから、こちらも思わず笑ってしまう。取れかかっていたパーマが復活している彼の前髪と横顔をちらっとみて、何かの映画みたいだな、とかぼんやり思う。

 

どしゃぶりの雨の中、道路の真ん中を不器用に走っていくふたり。

 

手を離せばもっと早く走れるのに、不思議とふたりとも手を離そうとはしない。ゲラゲラと騒がしい笑い声をあげても、全部全部かき消すほどの強い雨。

 

やっと家に着いた頃には、ふたりともずぶ濡れ。「これどうするー…?」という目で見つめ合うそのわずかな瞬間で、玄関には小さなふたつの水溜りができてしまう。

 

「おれ、タオル取ってくる」。そう言って彼はTシャツを脱ぎ、早足で脱衣所のタオルを取りに行く。

 

待っている間、ひとり分の水溜りはどんどん大きくなり、ぽたっぽたっと前髪から滴る雨粒を見ていると急に心細くなった。

 

(こんなに雨に濡れたの、いつぶりだろう)。

 

張り付いた服が気持ち悪い。カバンの中にある雑貨の中に濡れて困るものはあっただろうか。底に入っているiphoneは大丈夫だろうか。一気に現実が迫ってきたそのとき、頭にバスタオルをかけた彼が、もう1枚のバスタオルをふわりと頭にかけてくれる。

 

柔軟剤の、柔らかい匂い。

買ったばかりの、青緑のバスタオル。

 

彼が「だいぶ濡れたね」とかなんとか言いながら、バスタオルで頭をわしゃわしゃと拭いてくれると、小さな子どもに戻ったような気がしてくる。

 

「かわいそうに。こんなに濡れちゃって」と遠い日に母親に言われた柔らかい記憶とリンクして、たまらなくなって彼を見つめるとほんのすこし触れるようなやさしいキスをされる。雨の、すこし非情な冷たさを含んだ唇。

 

「もうこのままシャワーあびちゃおう」。

 

彼の提案で、狭い1人暮らしのバスルームにふたりで入り、さーっと体を流す。

 

「すごかったね!」

「やばかったね!」

 

子どものように興奮してさっきの雨がどれだけすごかったかを少ない語彙で言い合ってシャワーを済ませ、お揃いの部屋着に着替える。ネイビーのTシャツは、一緒に選んだものだ。ふたりともワンサイズずつ大きな、ダボっとしたもの。これにタオル地のショートパンツを履いて、頭にバスタオルをかけたままリビングに座り込む。

 

一気に身体に気だるさが襲ってくる。久しぶりに、走ったもんな。

外は勢いこそ弱まったもののまだ雨が続いているし、今日はこのまま雨なのだろうか。

 

冷凍庫をパタンと閉じる音がして、目をやると彼がアイスバーを食べようとしているところだった。

 

「いる?」

 

彼に聞かれるも首を振って断る。断りながら「ひと口だけ」というと「食べるんじゃん」と笑われた。アイスは要らないけど、この時間とアイスの甘さは共有したいのだ。わかってないな。

 

隣に座った彼の体温を腕のあたりにほんのりと感じる。「はい」と差し出された青いアイスバーに、言われるがままにかじりつく。サイダー味の、爽やかなアイスバー。しゃりしゃりとした歯ごたえが、夏を凝縮した味わいを口に広げる。

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彼がつけたテレビからは、ニュースキャスターが先ほどふたりが通り抜けてきた豪雨の様子を伝えている。上部にはひっきりなしに「雷注意報」が流れている。

 

びしょびしょになった白いワンピースを思い、カバンの中の雑貨を思い。けれどそれらすべてを振り払うように彼に「ほんと、びっくりしちゃったね」と笑いかけると、彼は妙に真剣な顔でこちらを見ていた。

 

「今日、たぶん一生忘れないとおもう」

 

澄んだ瞳でまっすぐに言われ、わたしはこの瞳のほうを覚えているだろうな、などと思う。サイダーの爽やかな味が、雨のしとしととした音が、そして彼のほのかな体温が。全部詰まった、まっすぐな瞳。

 

そうしてもう一度、軽く軽く触れるようなキスをする。今度は、爽やかですこし甘い冷たさを含んだ唇だった。

 

 

***

 

と、あたかも体験したかのような気持ちになってきたが、いつも通り未体験。

 

実際には化粧が落ちるとか、荷物が濡れては困るとか、後が面倒だなとかそんなことばかり考えてしまって、わたしは雨に濡れることなんかできない。たぶん一緒にいる彼が走り出そうとしたって、どこかの大きな家の駐車場かなんかを指差して「あそこに逃げよう」とか言うだろう。「カバンの中にパソコンがあるから!」とか現実的なこともいいそうだ。

 

雨に濡れる器量みたいなものがわたしにはないのだろうな、などと妄想上の女に少し嫉妬したがそもそもそんな彼氏もいないのだった、と思い出す。

 

彼も雨に濡れる器量もないわたしは、まだつま先をきゅうっと縮めて雨から少しでも逃れようとしている。雨から逃れている時間で、雨に濡れる妄想記事を1本書き上げてしまったわたしには、まだ理想のずぶぬれシチュエーションは訪れそうもない。

 

 

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