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【第23回】なんでもない日のプレゼント

夏生さえり連載アイキャッチ

なんでもない日にもらうプレゼントが好きだ。

 

ネックレスやカバンのような高価なものではなく、日々がちょっとだけ嬉しくなってしまうような、ささやかなものがいい。

 

簡単なことでいいのだ。

 

たとえば、恋人が好きと言っていたヨーグルトを見つけたら買って帰るとか、好きと言っていた絵柄のポストカードを見つけたら買って帰る、とか。

 

もうちょっとレベルアップして、普段は行かないような場所で買ってきてくれるものだとなお嬉しい。

 

たとえば花束。家に飾るのにちょうどいい小ぶりのブーケを手にもって「花屋さんの前を通ったから」とかなんとか言ってくれたら最高に嬉しい。

 

それから、お菓子。甘やかされているとしか言いようのない、特別な銀紙につつまれたキャンディなんかは最高。「たまたま通ったところで見かけたから」とか言って渡してほしい。

 

さらにはわざわざ“包装”されていると、なお嬉しい。中身の値段なんて関係ない。小さなリボンがついていたりするそれは宝物のように見えるに違いない。

 

そんなものを同棲中の彼が持って帰ってくれたら!(まず同棲中の彼なんかいないじゃないかという声は置いておいて)

 

ああ、憧れる。憧れすぎる。

 

 

理想はこうだ。

 

***

 

同棲中の恋人が帰ってきて、いつも通りに“今日の出来事”を話しながら彼のコートを流れるように受け取り、流れるようにハンガーにかけてリビングに戻ると、彼が「そうだ、これ」とか言いながらカバンをごそごそと漁り始める。

 

さりげなさを装いつつも、本当はそのタイミングを推し量っていたに違いないのだけれど、「これ、あげる」と、そっけなく腕を伸ばしてくる。

 

こちらも内心「えっ!?なに!?プレゼント!?」と嬉々として飛びつきたいところだが、もしかしたらプレゼントではなく誰かからもらったものを見せてくれているだけかもしれないから(こういうことって多々あるよね)、喜びがフライングしそうになるのをこらえて「なーに?これ」とか余裕ぶって受け取る。

 

本当の本当は、彼だって買おうかどうか迷ったはずなのだ。これをあげて喜ぶかなぁとか、こういうの好きだったっけとか、こっちとこっちどっちがいいかな? とか。けれどそういう諸々を全部隠して、「あげる」、と一言で渡してくる。

 

「えっ、うそ! プレゼント? なになに?」

 

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「プレゼントってほどじゃないから」と呆れ笑いをする彼をよそに、全身で喜びを伝える。開ける前から思わずニコニコして、手に持ったまま一度彼に“うれしい”のキスをちょっとして。

 

それからやっと、リボンをするすると開ける。

 

きれいな包装紙のはじからはじまですべてが彼の贈り物のような気がして、破かないように丁寧に開けていく。

 

「びりっと開けちゃっていいのに」と彼は笑うと思うけれど、とんでもない。このプレゼントまで辿りつく、もたつく時間さえも愛おしいのだ。

 

開けると、きれいな紅茶がそこにはある。

 

きっと値段にしてみれば大した額ではないのだけれど、おしゃれな名前の付いた紅茶が、美しい缶の中ですましている。

 

「紅茶!? すてき! かわいい! きれい!」

 

難しい語彙など全部全部忘れてしまって自分から溢れてくる簡易な言葉でたっぷりと喜びを伝え、もう一度キスをしてから「でも、どうして急に?」と聞く。

 

一瞬“贈り物は罪滅ぼしの証拠”なんていう悪魔のような考えが頭によぎるが、それらを一瞬にして消し去るようなシンプルさで彼は答える。

 

「好きかな、と思って」

 

その一言を合図に、溢れる気持ちをそのままに抱きつくと、彼はようやくふっと安心したように笑う。

 

「あぁ、よかった。喜んでくれて」

 

 

***

 

おめでたい日でも、ご機嫌取りなわけでもない。ただただ「喜んでくれるかな」と思ったというその純粋な気持ち。これが嬉しくないはずがない。

 

いくら恋人同士でも、別々の人間として別々の日々を歩んでいる。

 

そのなかで、離れている間も「あ、これあの人が好きそうだな」と思ってくれたその時間は、「精神的なつながり」を目に見えて感じられるようなものだと思う。

 

遠く離れていても相手のことを思いやれる人って、実はそう多くない。

 

精神的に遠くに立っている(ように感じてしまう)恋人というのも、時には居る。よく言えば、自立しきっている、というか。それが悪いというわけでは決してないのだけれど、やっぱりこういう「精神的なつながり」が目に見える時は、どうしたって嬉しい。

 

憧れる憧れる憧れる。

 

憧れまくっているわたしには、憧れるきっかけとなった話がある(残念ながらそれは恋の思い出ではなく、母親との思い出だけれど)。

 

ある夜、0時を超えたところで急に母親が「わー」とか「いえーい」とか言いながら小走りでリビングに入ってきて、「なに!?」と笑うわたしに「おめでとー!」と言いながらプレゼントを渡してくれた。

 

「え? なに? なんの日だっけ?」

 

目まぐるしく考えを巡らせていると「いや、8月になったからかな?」と言う。その日は8月1日だった。誰の誕生日でも、なんの記念日でもない。なにかに合格したわけでも、なにかから卒業したわけでもなかった。

 

よくわかんないけどありがとう、と受け取ると、中身はきれいな絵柄の缶に入ったチョコレイトだった。特に意味をもたない、やさしい言葉だけが微笑んでいるお手紙も添えられていた。

 

そのときに、わたしもいつか大人になったら「誰かのなんでもない日をちょっと幸せなものに変えられる人になりたい」と思ったのだ。

 

冒頭では、なんでもない日にもらうプレゼントが好きだ。と書いたけれど、本当はなんでもない日にプレゼントできる人になりたい。押し付けがましくて、ささやかで、そして喜ばしい出来事を積み重ねていきたい。

 

人生のなかで多くを占めている“日常”を、大好きな人と一緒に彩っていけるならそんなに幸せなことってないよな、と思う。

 

忙しいとすぐに忘れてしまうことだから、だからこそ今日は誰かにプレゼントを買ってみませんか? 駅前の花屋でも、家のそばのコンビニでもいいから。今日はそんな、お話でした。

 

 

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