読み物 2018.08.13
【第32回】お祭りと恋
1年で一番好きな季節がやってきた。夏だ。
暑くて体はとろけてしまいそうだけれど、夏は恋においても重要な季節。それゆえか、わたしはこの季節のことを嫌いになれない。
7月に入ったばかりだというのに、浴衣の女の人の姿をすでに多く見かけた。もうお祭りや花火大会が行われているのだろうか?
先日見かけた女の子は、待ち合わせ中らしかった。おそらく中学生か高校生くらい。携帯を片手にきょろきょろとして、その姿が妙にかわいらしいのできっとデートだろうとわかった。
夜の、ぬるい空気の中で広がる非日常的な空間で、赤や黄色のやわらかな光を浴びながら、今日彼女はどんなデートをするのだろう。待ち合わせ中の女の子の姿が見えなくなっても、彼女とお祭りのことを思い描いていた。
まだ付き合っていない2人のデートだったらいいな。それも、まだ恋愛に慣れていない頃の、ピュアなやつ。
わたしにもそういう時があった気がする。好きな男の子と、2人でお祭りに行った時。
あれは、こんな風だったっけ。
***
「浴衣、着てきてよ」
そうメールが来て、「よし、来た」と思った。
自分からサプライズで着ていくほどの勇気はないけれど、「着てきて」と頼まれたら「えー、じゃあ着ようか?」と言いやすい。「いいよー」などと冷静を装ったけれど、内心は心の中でガッツポーズをしていた。
実はメールが来るよりも前から、あらゆる浴衣画像を見ていた。去年着ていた赤い浴衣は、さすがに子どもっぽいかもと思っていたのだ。お母さんは「まだ似合うじゃん」と言うけれど、この年になればお母さんの意見なんてあてにならない。
たくさんの浴衣を前に、彼の好みを考えながら選ぶ。
かわいすぎる? 大人すぎる? 派手? 地味? 考えに考えて、わからなくなって一旦帰って。試着した写真を夜な夜な見つめ、やっとのことで買ったのは紺色でささやかな紫陽花が描かれているもの。お年玉はすっかりなくなってしまったけれど、後悔はない。
「誰と行くの?」
お母さんに聞かれて、思わず友人の名前を出してしまう。
「みちこちゃん。ほら、バレー部で一緒の。誘われたから、2人で行くの」
早口で説明をして、急いでお風呂へ入った。お母さんごめんね。そっと心で謝って、秘密ができた嬉しさのことも同時に思った。
当日、待ち合わせ場所に向かう間は、いつも以上に緊張してしまった。
学校で何度も話してきた彼だけれど、浴衣姿を気に入ってくれるか急に不安になる。無理にアップスタイルにした後ろ髪も気になる。そういえば帯は、崩れていないだろうか。
からん、ころん、からん、ころん。
下駄を鳴らしながら、目に入るショーウィンドウごとに自分の姿を映して確認をする。何度見ても、次の瞬間には崩れていないかが気になって仕方がない。
不意に、前を歩く女性が目に入った。白地に、鮮やかな花火の柄。色白のその人によく似合っていて、「ああいう明るい色にすればよかったかな」と少し後悔をした。惚れ込んで買ったはずの紫陽花が、急に子どもっぽく見える。やっぱり花火柄にすべきだった。
からん、ころん、からん。
ああ、もう足が痛い。デートって、楽しいばかりじゃない。不安や恥ずかしさ、そして息苦しさでもう帰ってしまいたい。そう願った瞬間、待ち合わせ場所の彼を見つけた。大きく手を振る彼の元に、不安を振り払うように走っていく。
「おまたせ」
「おー、いいじゃん」
「いいじゃん」だって。「かわいいね」くらい言ってくれてもいいのに。なんて、高望みかな。さっきから脳内がうるさい。心の独り言が止まらない。現実では、一言も喋れずに、沈黙ばかりが続いているというのに。
…もし今日、あまりに人が多ければ、はぐれないように彼の服の裾をつかもう。もっと大胆になれたら、手をつないでしまおう。
そう決意していたのに、お祭り会場につくとなぜか手が伸びなかった。何度も彼の白いTシャツを見つめ、やっとのことでつかんだのは、彼のカバンの一部。いくじなし。
「何食べる?」
「んー」
「あれ、おなかすいてない?」
本当は、“あなたの前で”、何なら食べられるかを考えているのだ。
たこやきは、青のりがついているからダメ。焼きそばもダメ。フランクフルトも、なんか恥ずかしい。
「りんご飴」
「女の子っぽいね」
本当は焼きそばが食べたいとは、言えなかった。空腹のおなかに入ってくる甘いりんごは、3口食べて飽きてしまった。女の子って、そういうものだよ。なんて、心で話しかけてみたりして。
やっと彼との会話のリズムがつかめてきたかと思い始めたころ、「友達だ」と言う。指の先を見ると、男の子の集団。いや、それよりも。あなたとわたしの距離が、さっきの2倍は空いている…。
「ちょっと行ってくる」
彼が嬉しそうに駆け寄って、砕けた姿で笑っているのを遠くから見つめる。あんな風に、わたしとは笑わない。
「え、彼女?」
「いや、ちがう」
聞こえていないふりをして、遠くを見ていた。あんまりきっぱり言うものだから、多少は傷ついてもよさそうだけど、傷つくほどの余裕もなかったのかもしれない。じゃあ好きな子なの?なんて、誰かが聞いてくれたらいいのに。
「ごめんね、中学の時の友達」
「何話してたの?」
「久しぶりーとか、まあそんなところ」
「そっか」
「そろそろ帰ろっか」
屋台が並ぶ道を、端まで戻るとき、彼の首筋にある汗のつぶが目に入った。
汗、かいてる。
たったそれだけなのに、急に彼が愛おしくなった。あの愛おしさがどこから来るのか、あのときはわからなかった。けれどきっと、あの汗に「生々しさ」を感じたのだ。遠くから見ていた頃には気づかなかった、彼の人間らしさというか。なんだか特別なものを見た気がして、指先に力が入った。「好きです」なんて、言えるはずもなかった。昨晩のシミュレーションでは、簡単に言うことができたけど。
そうして喧騒を離れると、途端に響く、からん、ころん、からん、ころん。こんなに大きな音が、足元で鳴っていた? 何を話せばいいかわからなくて、しばらくその音を聴いていた。
「昨日テレビで見たんだけどさ、」
彼が話し始めたその声は、喧騒の中で聞くものとは違う。低くて、ささやくような響きを持っていた。あれ、こんなに“男の人”だったっけ。声が空気を震わせるのがわかる。わたしの声では、こんな風にはならない。
待ち合わせた場所で、すこしだけ話をした。明日の授業のことや、部活のこと。このまえ教えてくれた漫画のこと。
「帰りたくないな」と願ったはずなのに、家に帰って帯を解いた瞬間、「おわった」と思った。
まるで宿題が終わったときのように、解放感に満ち満ちて。くたくたになった足が踏む床の、やわらかさ。カーテンレールに、汗だくになった浴衣をかけ、キャミソールのまま布団に倒れこんだ。
「今日はありがとう」
メールを打っていると、彼の方から先にメールがきた。
「好きです」
***
こんな思い出がわたしにもあった…ような気がしてきた。気がしてきただけかも。まあ、いい。思い出なんて、いくら作っても誰にも怒られないし。
それでも、確かに思い出した。
下駄に入ってくる砂の感触。首筋をつたった汗の軌道。
ああ彼女のデートが、成功していますように。
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