読み物 2018.08.31
【第33回】手料理をつくる嬉しさ
「彼に、手料理をつくって欲しい!」
昔はそんなことばかり思っていた。いや、今でももちろん憧れる。時に彼がごはんを作ってくれると飛び上がるくらい嬉しいし、毎日だって食べたい。自分のために献立を考え、時間をかけてキッチンに立ってくれたなんてそれだけで最高すぎて、料理の匂いを嗅ぐ前によだれが出そうだ。
けれど、最近はこうも思う。
「彼が、手料理を食べてくれると嬉しい」
何を今更…という主張だが、料理が得意でもないわたしにとっては手料理というのは至極面倒な行為であり、極力避けて通りたいもの。そんなわたしが「手料理を食べてくれるのが嬉しい!」=「もっと作るぞ!」と思えるようになるなんて、我ながらびっくりする。
こう思えるようになったのは、とあることに気づいたからだ。
「わたしがつくるごはんが、彼の身体を作っているなんてすごくない???」
…ちょっと気持ち悪いという声が聞こえてきそうだ。責任転嫁ではないが、じつはこの思考は、以前Twitterで見かけたもの。
彼氏に手料理を振舞っている彼女が「彼の生命を維持しているのはわたしがつくったごはんなのだと思うと、嬉しくて仕方がない」「わたしのごはんが、彼を構成している…!」というようなことを書いていた。当時は、「すごい、究極の愛だな」なんて思いながら見ていただけだったが、最近ごはんを作りながら「ほんとだ」と思った。
昼ごはんも夜ごはんもわたしがつくったもの。それを繰り返せば繰り返すほど、彼の身体はわたしがつくったごはんで埋め尽くされる…!? え、それってすごくない?これって、プレゼントしたカバンや時計を毎日身につけてくれることなんかよりずっとずっと嬉しくない?なにかこう、もっと彼の基礎の部分から関われた気がするというか、彼の命に関わるというか、もはや彼=わたしというか(ちがう)。ちょっと気持ち悪いかもしれないけれど、しみじみそう思ったのだ。そう思った瞬間、ごはんをつくる行為に意味が増え、じんわり嬉しさが広がった。
疲れていればスタミナメニューを、元気がなければ好きなメニューを。「口内炎ができた…」とつぶやけばビタミンの多い食材を使ったり、お店で「これ、おいしい」と漏らせば真似して作ってみたり。
手料理は愛。なんて言葉はよく聞くけれど、こういうことかぁと思う。
とはいえ、こんな風に手放しで「つくるのが嬉しい」と思えるのは、きっと食べた彼がきちんと、「おいしい」とか「ありがとう」とか口に出して言ってくれることが何よりも大きいだろう。(未熟な人間性を露わにするが、正直に言って)感謝の一言もなければ、こんなことを思う心の余裕はなかったかもしれない。
なにせ、繰り返すけれど「手料理は面倒」だ。
ごはんを作るには、まずは献立を考える必要がある。そこから必要な材料を洗い出し、時間を捻出して買い物に行く。スーパーは寒すぎて手足はすぐにかじかむし、だいたいの場合、買いすぎて荷物が重たくなる。あぁ、こんなに買ったら、後が大変だな。そう思いながらも、それでも途中で彼の好きなビールを目にしてしまうと、また買ってしまう。スーパーの袋は、予想通り腕に食い込むほどに重たくなり、もともと疲れていた体はさらにくたくたになるし、腰痛は悪化する。つくるときだって、やりたい作業を中断し、おもしろいテレビを見るのをやめて、あとから発生する大量の洗い物を予感しながら作る。その頃には疲れも出て、「わたしだって疲れているのに、なんでこんなにがんばっちゃったんだろう」なんて思ってしまう(時だってある)。
でも。
彼が「おなかすいたー」と言いながら帰ってきて、一口たべて「おいしい!」と言ってくれるとき。「あぁ、ごはん食べたら元気出てきた」と言ってくれるとき。すべてが帳消しになり、疲れがじゅわじゅわ溶けていくのだ。
昔、母が「家事の対価は笑顔なのだ」と言ったことがあったが、本当だった。(いちいち意識しているわけではないが)対価をしっかりもらえているから、辛くならない。わたしたちは菩薩ではないし、さして立派な人間でもない。「感謝されなくてもいいんです」なんて言ってみたいものだけれど、恋人は所詮他人。愛を快く受け取ってくれない相手に対してがんばりつづけることなんてできないし、ましてやそれを跳ね除けられるようなことがあれば心はポキッと音を立てるだろう。受け取る側も、せめてこのつくる側の気持ちくらいは理解しておいてほしいところだ。
***
なぜそんな話をしたかというと、時に友達から「飲みにいくからごはん要らないと言ったら喧嘩になった」という話を聞くから。「明日食べるといったら悲しそうにされた」とか「熱いうちに食べろってうるさくて」とか。気持ちもわからなくはない。頼んでもないし、コミュニケーションが不足していれば時にはありがた迷惑に感じることもあるのかもしれない。だが、その友達の恋人が、わたしのように恋人を想いながら腕に袋を食い込ませた時間や、疲れ切った身体のことなどを思うと泣きそうになる。
手料理は、目に見える愛。
今日だってあなたを思いながらウタウタイが歌っているように、今日だってあなたを思いながら近所のスーパーへ行くのだ。どうか無下にすることなく、対価を渡すようなつもりで微笑んであげてほしい。誰かを思いながらごはんをつくることの楽しさと大変さを感じるからこそ、切実にそんなことを願う。
相手の身体をつくりたい。この世の恋人への手料理がそんな欲求から成り立っているかどうかは知らないが、「手料理は愛」という言葉が、やっと身にしみてわかるようになった27歳の夏だった。
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