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【第16回】振られた後に食べたいもの

3月は、卒業の季節。

 

この時期になると「卒業式に、好きな人に告白しておけばよかったな」と、いつも思う。

 

実る可能性は、限りなく低いかもしれない。でも、もう会えなくなってしまうから。今、言わないと後悔するから。そしてなにより本当に彼が好きだから。告白する。

 

……そういう体当たりでまっすぐな告白をわたしはしたことがない。

 

とか書きながらも、実際には高校卒業時には好きな人すらいなかったから、そんなイベントはどのみち無縁だったのだけれど。でもやっぱり卒業式の告白に憧れる。

 

わたしの友人は、高校の卒業式にクラスメイトの男の子に告白してOKをもらい、その日から7年付き合って結婚した。今ではとびきりキュートな娘もいる。卒業の日の告白は夢物語なんかじゃない。本当に「告白する・される」が起こる日なんだ。あぁ、そんな告白大イベントなんて、絶対に体験しておくべきだった(好きな人がいなかったのだから仕方がないのだけれど……)。

 

きっとその友人のようにうまくいく人たちだけじゃなく、うまくいかない人もいるはずだ。わたしが体験したかったのは、後者だ。

 

つまり「告白して、振られてみたかった」。

 

今もし振られて胸を痛めている最中の人がこれを読んだら不謹慎に聞こえるかもしれないけれど、わたしに恋愛関連の後悔があるとすれば「好きな人に告白して振られてみたい」だと思う。

 

好きな先輩とか学年で1番かっこいい子とかに告白して、見事玉砕。またはいつも行くコンビニのお兄さんに一目惚れして告白。そういう「無理っぽいけど、でも好きだから伝えたい!!」みたいな告白を大人になってから初体験するにはハードルが高すぎる気がして、わたしは結局未体験のままだ。

 

付き合った人に振られたことはあるけれど、告白して振られたことはない。

 

それって結局、勇気がないか、勇気がなさすぎて気持ちをひた隠しにしているか(それは時に「別に好きじゃない」などと錯覚するほど)だと思う。だから告白して振られる体験は、心にまっすぐな感じがして憧れるし、なにより格好良い。その勇気にスタンディングオベーションを贈りたいほど。

 

せっかく「告白して振られる」なら、とびきり潔く、そしてとびきりセンチメンタルな感じにしたい。振られ舞台の理想のシナリオを描くならこうだ。

 

 

***

 

卒業の日、「今日、絶対に告白する」と決めて登校し、式の間は、斜め前のほうに人の隙間からたまに見える告白相手に見とれて、『旅立ちの日に』を歌っているときも歌詞を間違えるほどに緊張する。

 

最後のホームルームが終わり、みんなが中庭で写真を撮ったり抱き合って泣いたりしているときに、彼を呼びだす。

 

学年1カッコイイと噂されているその彼は、サッカー部でゴールキーパーをしている。背が高くて細身、爽やかに笑う彼は、わかりやすい学年のアイドルだ。先月のバレンタインでは8つの本命チョコをもらったと聞いた。

 

廊下に呼び出したために誰が来るかわからない緊張と告白の緊張で、心臓が口から出そうになるその勢いに任せて自分でもびっくりするくらい高い声で

「ずっと好きでした」と言う。

 

即「あー……」と決まりの悪い声が聞こえて、彼は頭をポリポリと掻く。

 

そしてあっさりと「ごめん、この前彼女ができたから」と言われるのだ。

 

知らなかったくせに「あ、そうだよね」などと笑ってみせ「言わないと後悔すると思ったからさっ」とちょっと明るく振る舞い、「卒業しても元気でね」などと月並みな言葉を交わしたところで遠くから彼の友達が彼を呼ぶ。

 

呼び出した時から、「それじゃ」と言われるまで、たった3分程度。

 

1年以上あたためてきた想いも、カップラーメンが出来上がる時間と同じくらいですぐに終わってしまった。妙に冷静に「こんなもんか」と思い、上履きをキュッと鳴らすほど大きく回れ右をして、きっと中庭でドキドキしながら待ってくれている親友の元に向かう。

 

友達と写真を撮っていた親友は、こちらに気づいて駆けてきたが、「振られたー」とあっさり告げると、彼女も「そっかー。ま、言えてよかったじゃん」とあっさり言った。

 

きっとわたしたちは、最初から結果がわかっていたのだ。「彼女がいる」とか「いない」とか、そんなことはどうでもよかった。だって一度もちゃんと話したこともないし、誰から見ても「脈あり」とは思えなかったと思うし、わたしだって「たぶん無理」と思っていた。

 

でもそこに「たぶん無理」と付け加えたくなったのは、彼のクラス横の廊下を通る時、たまに目があうことがあったからだった。もしかしたら、いや、まさかね、とかちょっと思っていた。目ぐらい、誰とだって合うよ、と自分を笑いたくなる。

 

「あそこ、行こうよ」と親友が言い、わたしたちは行き慣れたさびれた商店街へと向かう。

 

「大学行ったらどんな生活かな」とか「あのゆり子が、卒業式では泣いてたね」とか話しながら歩いて、たどり着くのが商店街の奥まったところにあるクレープ屋だ。

 

「あたし、チョコバナナカスタードホイップ」
 
「いっつもそれじゃん」
 
「好きなの。あんたは?」
 
「んー。あたしはベリーベリーカスタードホイップ」

 

ほんのりあたたかいクレープを手に、隣にあるベンチに座る。

 

3口ほど食べたところでようやく生クリームゾーンにたどり着き、添えられたベリーも同時に口に含む。

 

「あまっ……」

 

そう言った瞬間、「振られたんだ」と急に自覚した。何の前触れもなく、唐突に。

 

クレープの包み紙をビリビリ破りながらぽろぽろ泣いて、涙を拭きもせずクレープを頬張っていたけれど、親友はたいして慰めもしなかった。

 

あまりにも彼女が黙っているもんだから、ちらっと様子を伺ったら、「やば、アイライン落ちてるって」と笑われた。

 

 

彼女は100均で買った手鏡を取りだして、「ほら、ひどい顔」と言った。

 

「やばー」
「やばー」

 

ふたりでそう言い合って、ちょっと笑っていたら彼女が小さく「言えてよかったじゃん」と言った。慰め言葉のレパートリー、それしかないのかよ。心でボヤいて、でもたしかに言えてよかった、とも思った。

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……そして数ヶ月後、東京に上京してきたわたしは、大学の近くで再びクレープ屋を見つける。ベリーベリーカスタードホイップはなかったけれど、いちごホイップがあったのでそれを頼んだ。

 

東京のいちごホイップは、生クリームもいちごも少ない割に高かった。

 

ひと口食べて「あま……」とひとりでつぶやいてみたけれど、もう涙は出なかった。

 

 

***

 

と、こんな感じが理想。やたらと細かく理想を描いてしまったけれど、これら全部が理想のシチュエーションだ。

 

振られたあとに、親友と食べるクレープ。それ以上に女子高校生っぽくて、心を癒してくれる食べ物は他に思いつかなかった。

 

冒頭でも言ったように、わたしは告白して振られた経験はないけれど、付き合った人に振られた経験ならある。 絶望的だったし、ちょっと腹もたったし、何かに呆れたりもしたし、どうでもよくなったりもした。最後に彼が席を立った瞬間がスローモーションのように蘇った。

 

でも、その日が突き抜けるような青い空の日だったからか、振るより振られるほうが清々しいんだな、なんて思ったのを覚えている。

 

せめてその日に親友とクレープでも食べればよかったのだけれど、わたしはそのときもう大人だったし、仕事もあったしで、ファミリーレストランに行ってひとりでステーキ定食を頼んで食べた。

 

「振られた」と親友にLINEしたら、「後で電話する」と迅速な返信があった。

 

振られてご飯が喉を通らなくなるタイプじゃなくて、振られると無理して明るく振る舞うタイプなのだと初めて知った。それはそれで、貴重な思い出としてわたしの中に刻まれている。

 

うまくいくだけが恋じゃないよな、とか思ったりもした。

 

「好きな人に告白して振られ、クレープを食べる女子高校生」ではなかったわたしは、「付き合っていた人に振られて、ステーキ定食をひとりで食べるOL」になっていた。前者のような体験に憧れる気持ちも、少しはわかってほしい。

 

卒業の季節。告白する・される、実る・実らない。どれもきっと、大事な思い出になるんだろう。

 

そういうときに食べるクレープがどれだけ甘いのか、わたしはもう知ることはできないけど、もし今、卒業を控えていて、好きな人に告白しようか迷っている人がいるのなら、どうかそのチャンスを思い切り使ってきて欲しい。わたしの分まで、頼んだよ。

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